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Posted by ミリタリーブログ  at 

2010年07月02日

ちょっと一言の戯言10

 

















「空飛ぶ自動車」 米航空局の規制をクリア 19万4000ドル(約1700万円) 1年半後に出荷開始予定

さて、この記事を読んで貴方は「とうとう自動車も昔の空想科学雑誌みたく空を飛ぶ時代になったのカァ」と思うだろうか?
ちなみに自分は「またか・・・」という感想だ。今回はその「またか・・・」の理由のお話と人類(今回は特にアメリカ人だな)は失敗から学ばないと言うお話だ。

今から70年以上前の1935年当時のアメリカでは1908年に登場したT型フォードのお陰で世界に先駆けてモータリゼーションを確立していてもう一般家庭には自動車は普及しきっていた。
そうなりゃ次に流行るのはなにかと考えて思いついてしまった。
「そうだヒコーキだ!」
こうして誕生したのがピトケアンAC-35オートジャイロで、オートジャイロは前のプロペラで離陸してから上のプロペラで飛行する飛行機でヘリコプターが完成するまではそれなりに重宝していた。
このAC-35は機首のエンジンをクラッチでプロペラ、後部車輪に切り替えできて1台(1機か?)完成していろいろデモンストレーションしたものの中は狭くて車としても使い辛いんで完成したのはそれだけ。
この1台は現在スミソニアン航空宇宙博物館に展示されているそなので機会があればヘンなヒコーキおよび車としてベルX-1やB-29のついでに見てくるのもいいかもしれない


はてさて、時代はナチ公とそのお友達日本とイタリアをボコボコにしてつかの間の平和を満喫していた1947年、ロバート・E・フルトンさんはふと思い立った。
「戦争が終われば大勢の飛行機乗りが復員してくる、そうなれば飛行機にも車にもなる乗り物が売れるんじゃないか?」
思い立ったが吉日とばかりにフルトンさんは飛行機自動車をこしらえた。主翼は自動車状態では邪魔で危ないんで取り外して飛行場かトレーラーに置けるようにしてプロペラと車輪は機首のエンジンからクラッチで変更して動かす。謳い文句は「飛行機から自動車に5分で変身!」
こうして作られたのがフルトンFA-2(2ってことはFA-1もあったのか?)
だが画像の通りいかにも軽飛行機なのが街中を走れば異様な光景だしなにより二人乗りじゃ使いづらかったのか3台しか作られなかった。
その2年後にはモルト・テイラーさんがエアロカーなるものを作って5台完成したがテイラーさんは飛行機作りのほうが楽しかったのかホームビル機作りに走ってしまった。

今までの飛行自動車はいわゆる個人の“アメリカ的パパの日曜大工”な感じで作られていたがなにを間違えたのか核爆撃機B-36ピースメーカーやB-58ハスラーとかを作るホンマモンの大飛行機メーカーのコンヴェア社が1946年この飛行自動車作りに参戦した。
コンヴェアはそれまでの飛行自動車とは違って自動車部分にプロペラと主翼なんかの飛行機材一式を載せる方法(コバンザメみたいだなぁ)を採用した。つまり飛行場までトコトコ自動車で行って飛行アタッチメントを載せればそのまま空を飛でるって寸法だ。
だがいろいろ作ってはみたもののこんな奇妙奇天烈で帯に短し襷に長しなものを買うよりは素直に車で飛行場まで行ってしっかりした飛行機に乗れば済む話だ。かくしてかつての大飛行機メーカーコンヴェアの挑戦は虚しく終わって飛行自動車開発も終了した。

この話は軍事評論家の岡部いさく氏の「クルマが先か?ヒコーキが先か?」に書かれているのだが最後はこんな言葉で締めくくられている
「空港に向かう高速道路の大渋滞あある限り、ドライバーのいらだちの中から、また同じ夢想が生じないとは誰に断言できようか!」  

Posted by 凡人十三號  at 09:11Comments(3)ちょっと一言